洗脳された

死ぬ

価値観は洗脳

平安時代は麻呂眉でふくよかで髪が長くて和歌詠めるのが美人だったらしい。は?って感じだ。でも今自分が思ってる「美人」は本当に美人か?もしも周りが火星人しかいない環境で育った人間がいたとして、そいつはお前の言う「美人」を美人と思うか?

つまり周りから「これは美人、これはブサイク」という洗脳を受けてるのだ。美人かどうかの絶対的な評価基準は存在しないのだ。

(こないだ見たガリレオのドラマだと美人かどうかは顔の比率だとか、数値的基準があるみたいなこと言ってたけどそれは知らん)

宗教と洗脳

そこで宗教を見てみよう。すると「〇〇こそが神」と崇めている。

ここからは僕の見解であり根拠もクソもないので話半分に聞いてほしい。

おそらく宗教では真っ先に「価値観」を植え付けてくる。それも初めはごく小さなところからだ。昔オウムの特集を見ていた時、こんなシーンがあった。

「オウムではこのように熱湯に修行と称して信者を入れていた。すると信者も無意識に『これだけのことをしたのだから、きっと素晴らしいことがあるはずだ』と思ってしまう。そしてさらにオウムにのめり込むのだ」

少し曖昧だが大筋このような話だった。まさしく「価値観」から洗脳に入っている。

価値観が変わる時が危険だ

人生は長い。その中生きてると、価値観がガラリと変わることがある。しかし、価値観を変えるというのはとんでもなく大きな出来事だ。そんな時こそ、立ち止まり冷静にその事柄の本質を見極めてほしい。君のその価値観を変える人、あるいは物は君を洗脳しているのではないか?果たして価値観を変えてもいいのか?いや、今までが洗脳されていたのではないか?

もちろんこの記事も『洗脳』の1種になりうるだろう。よく考えてほしい。